金村さんにとって最初の機械式腕時計は、1986年のシーズンオフに買ったゴールドコンビのロレックス。大事にしていたのだが遠征のときに盗難に遭ったことで懲りてしまい、現役選手時代にはあまり高価な時計は買わなかったという。時計との関わりを大きく変えたのは、知人から贈られたブライトリングだった。
仲の良い中華料理店のオーナーがいたんです。その方が機械式腕時計好きで、僕が現役引退するときにプレゼントしてくれたんですよ。引退してからしばらくは仕事もなくて、オフは仕事を探すためにあちこちのキャンプを回っていました。ところがブライトリングを着けてキャンプを訪ねると、『かっこいい時計してるね』って、周囲の反応がすごく良かったんですよ。時計だけでそこまで見られ方が変わるんだってことをそのときに身をもって知りました」
それから機械式腕時計の深遠な世界にはまっていった。現在はオーデマ ピゲ、パネライ、IWC、フランク・ミュラー、カルティエなど15本ほど所有しているという。仕事の関係で自宅のある関西と東京を行ったり来たりする生活だが、出張の際には洋服と一緒に時計も数本用意して、その日のコーディネイトによって付け替えるという。
「僕らの若い頃はダブルのスーツにセカンドバッグ、金無垢のロレックスっていうのが野球選手の定番ファッションでした。だけど今の選手は全然オシャレですよ。時計にもこだわっている選手が多いですね。立浪選手(中日)がピエール・クンツのパピヨンを誰よりも早く持ってたり、小笠原選手(巨人)がロジェ・デュブイをしてたり、他人とかぶらない時計にこだわる人も多い。こういう時計雑誌も、みんな移動中によく読んでますよ(笑)」
「長男にはパネライとフランク・ミュラー、次男にはブライトリングを譲りました。三男がこの春に高校入学なんで、そのときにはオメガのプラネットオーシャンをあげようと考えています。以前はどんどん買っていたんですが、一昨年くらいからはコレクション熱も落ち着いてきましたね。最後はパテック フィリップが欲しいという思いはありますが、それもまだちょっと早いかなって。でもいつかはあの時計が似合う男になりたいと思っています」
金村 義明(プロ野球解説者)
YOSHIAKI KANEMURA 1963年8月27日生まれ、兵庫県出身。報徳学園に在校していた1981年に夏の甲子園で優勝を果たし、ドラフト1位で近鉄バファローズに入団。1980年代後半から1990年代前半にかけてサードのレギュラーとして定着し、「いてまえ打線」の主軸として活躍する。その後は中日、西武に移籍して1999年に現役引退。現在はユニークなキャラクターと巧みな話術を生かして、野球解説者、タレントとして活躍している。