第4回 – 知れば知るほど面白い時計の“歴史”①
調査、技術、歴史の三つの項目に分けて、国産時計にまつわる“うんちく”を紹介する短期連載企画。第4回は知っているようで知られていない戦時中の時計事情から、1964年に開催された東京オリンピックまで、時計にまつわる歴史ネタを紹介。歴史好きに向けた、一読の価値ありな内容となっている。
》戦時中に腕時計は買えたの?
第2次世界大戦真っ只中の1940年に施行された奢侈品(しゃしひん)等製造販売制限規則により、贅沢品の製造や加工、販売が禁止された。
宝飾品や銀製品のほか、腕時計も50円を超えるものは規制対象となった。当時の中等教育機関卒業時の初任給が42円であったことから、おそらく現在の価値で20万円ほどの価格であっただろう。
41年からは配給制が始まり、デパートでも生活必需品を中心に扱うようになったため、購入の場が減り、一般市民が時計を購入するのは難しくなったと推測できる。
》シチズン時計とギンザタナカは兄弟会社?
意外に思われるだろうが、シチズン時計とギンザタナカは同じ山崎亀吉氏が興した会社である。1892年(明治25年)に山崎商店(前身、清水商店)を、1918年(大正7年)シチズン時計(当時、尚工舎時計研究所)を創業した。
2020年2月にシチズン時計では尚工舎時計研究所が1924年“CITIZEN”の名で発売した最初の時計“16 型懐中時計”をモチーフに、ジュエリーの素材としてよく用いられるプラチナ 950を使用した特別モデルを発売した。
山崎亀吉(1870〜1944年)
実業家であり貴族院議員でもある山崎亀吉は、宝石を身につける風習のなかった日本人に、宝石や貴金属の価値や美意識を伝え、22金の規定を日本で初めて立案した宝石業界の第一人者。
貴金属の品質保持、向上の基盤を整え、さらに日本で最初といわれるダイヤモンドに関する書籍を出版するなど、貴金属業界の黎明期を切り拓いた。また国産時計の産業化を目指し、尚工舎時計研究所を立ち上げ、市民のための国産時計の製造を実現した。
》恩賜(おんし)時計にはどんなものがあった?
恩賜時計などの御下賜(ごかし)品は、天皇をはじめとする皇室や宮家から贈られる品物の総称。恩賜時計が下賜される先は、大きく2種類に分別することができる。
ひとつは功績のあった重臣などに下賜するもの。そしてもうひとつは、帝国陸海軍の学校や、東京帝国大学をはじめとした、帝国大学の優等生に褒章として授与されたものである。
ここもポイント – 戦争で視覚を失った人への恩賜品
セイコー 触読時計
失明した軍人に下賜された触読タイプの懐中時計で、このモデルは1939年に開発されたもの。風防をあえて設けず、インデックスや針を直接触って時刻を確認できる。インデックスに凹凸が付けられているのも特徴だ。
実物は傷痍軍人の労苦を伝える東京・千代田区の歴史博物館、“しょうけい館”にて見ることができる。
日本史についてザッと紹介。また次回も“歴史”の項目をお届けしていく。戦時中に日本軍が使用していた時計などを調査したので見てみてほしい。
構成◎松本由紀(編集部)/文◎Watch LIFE NEWS編集部