時計愛好家のくろのぴーす氏が、ドイツのグラスヒュッテとドレスデンを訪れた。時計の聖地ともいわれるこの地で出合った二つの大きな時計。それはまさに、現代のA.ランゲ&ゾーネの製品開発に大きな影響を与えているものだった。
A. LANGE & SÖHNE 本社レポート
ランゲ創業者の魂を刻む二つの街の時計と、それを発想の源とする後継者たち
現代によみがえったランゲに受け継がれた精神
世の中には、創業時の哲学が廃れてしまった腕時計ブランドは山ほどあります。旧ブランド復活ブームの中では、名前だけで元の形もないような腕時計もたくさんあります。しかし、私がドレスデンとグラスヒュッテを訪れて知ったA.ランゲ&ゾーネ(以下、敬愛を込めてランゲ)のルーツは、創業者の意思がいまも引き継がれ、歴とした物証として残されていました。
わざわざ物証と称するのには理由があります。単に伝え聞いた話だけではなく、グラスヒュッテとドレスデンというザクセン州の二つの街に、ランゲ創業者の魂が二つの大きな時計として街に掲げられていたからです。
一見、1990年代の復活時にリセットされてしまっているかに見られがちなランゲ魂が、歴史的裏付けをもっていまも引き継がれていることを皆様に知っていただきたい。そんな思いから、今回、筆をとることにしました。
まずは、駆け足でランゲの歴史をひととおり見てみましょう。
ランゲは1845年、アドルフ・ランゲによって立ち上げられ、グラスヒュッテ製時計の特徴となる4分の3プレートを発明し、機械の精度向上に大きく貢献しました。一方息子のリヒャルトは、かのニヴァロックス・ヒゲゼンマイを発明し、腕時計業界に大きな貢献をしています。さらにリヒャルトの息子エミールは、複雑時計と懐中時計の普及に努めるも、1945年に第2次世界大戦で工場が破壊され、48年に国有化されランゲブランドが一旦途切れます。
しかし、90年の東西ドイツ統一の年、エミールの孫ウォルターとIWCのギュンター・ブリュームラインの手により、ランゲブランドが復活します。
いま我々が手にしている近年のランゲ腕時計は、90年代にブランドが再興され、2000年にリシュモングループに買収された以降の作品というわけです。
にわかにランゲについて調べていると、名前のみが復興しただけの商業的ブランドかと思われる人も一定数いらっしゃることでしょう。しかし創業家ランゲ一族の魂はいまも街に刻まれており、後継者たちのインスピレーション源として役目を果たしています。その主たるものが、ドレスデンとグラスヒュッテの建造物に掲げられた二つの時計なのです。よく知られているのが、近代ランゲを代表するモデルであるランゲ1などに見られるアウトサイズデイト(ビッグデイト)と、ツァイトヴェルクのデジタル表示の元となった、ドレスデンのゼンパーオペラハウスにある“5分時計”です。
この5分時計は、1841年にオペラの観客が舞台進行を邪魔せず時間を確認できるように設置されたものですが、第2次世界大戦で破壊され、1985年にオペラハウスとともに復元されました。5分時計は、ヨハン・クリスチャン・フリードリッヒ・グートケスという時計師が設計したものですが、実は彼は、アドルフの義理の父でランゲ一族との繋がりがあります。
そしてもうひとつ、あまり表に出てこない重要な時計があります。それが今回私が読者の皆様に紹介したい、グラスヒュッテのランゲ本社に掲げられている“振り子時計”です。
これは、かつて機械式時計しかない時代に時刻合わせや精度調整の標準としていた、いわゆるレギュレータークロックの役割を果たしていたものです。近年では、腕時計愛好家が知っているレギュレーターと言えば、時針と分針が重ならず設置され、時刻を見間違えないようにレイアウトされた腕時計を指すものと誤解されがちです。しかし本来は標準となる時刻を示す目的をもつ時計がレギュレーターと呼ばれます。
後継者たちに受け継がれるブランド哲学
本社屋は1873年に創業者アドルフが設計し、高い窓で光を取り込み、明るい作業環境が整備され、“シュタムハウス(家族の家)”と呼ばれていました。
そのシュタムハウスに設置されたレギュレータークロックは、外からは一見、よく見かける大きな時計にしか見えません。しかし実は社屋の3階から地下1階を貫くように、杉の木で作られた9メートルもある振り子が設置された、巨大な振り子時計なのです。振り子の錘は亜鉛製で、その重さはなんと128キログラム。レバー脱振機はアドルフの設計によるものですが、振り子の計算と調整を手掛けたのは息子のリヒャルトです。
後に再度言及しますが、この振り子時計も、オペラハウスの5分時計に勝るとも劣らない、いまもランゲブランドを引き継ぐものたちの重要なインスピレーション源となっている重要な歴史の鍵のひとつなのです。
オペラハウスは、いわば戦後東ドイツにおけるドレスデン復興のシンボルのひとつです。同様に、大戦によって一度ブランドが消滅したのち、2000年にリシュモンの協力もあってグラスヒュッテ市から買い戻されたランゲ本社も、同地復興のシンボルと言えるでしょう。その間も保管されていた振り子時計は、01年の本社再稼働時には復元され公開されています。ですから、それら二つの建造物とそこにまつわる二つの時計は、街自体の復興のシンボルであると同時に、ランゲブランド復興のシンボルでもあります。すなわち、我々が腕に乗せているランゲの腕時計は、ドレスデンとグラスヒュッテの復興の歴史を示すものとも言えるでしょう。
ところで、ランゲの雑誌広告などでもよく見られる、同ブランドの売り文句として“2度組み”があります。要は、どの時計も一度仮組みしてその動作を確認してから、もう一度すべて綺麗にして再度組み立て直しているというものです。ほかのブランドでも一部のコンプリケーションに同様の2度組みをすることはありますが、すべての時計に2度組みをしているブランドは珍しいでしょう。私はそれを勝手に、“偶然に頼らない精度調整”と呼んでいます。一度組んだものがもし、たまたまの組み合わせで高い精度を生み出していた場合、修理などでもう一度組んだ際の精度はまた偶然に頼らねばなりませんが、2度組みで調整されたものは、確率論からしても比較的長きにわたって精度が保たれることでしょう。
それって、いかにもドイツらしい発想に思えませんか?
私は幸い、他誌への寄稿のため、長時間にわたって開発責任者のアントニー・デ・ハス氏にインタビューする機会がありましたが、彼はオランダ人にもかかわらず、そういったドイツ人魂を巧みにビジネスと腕時計作りに生かしていると感じました。
また彼の話からは、いまのランゲが業界で頻繁に見られるブランド名だけを買って復興させたビジネスモデルの犠牲者ではなく、創業者の哲学を継承しながらも、最新の取り組みをしているメーカーであるという確証が得られました。例えばムーヴメントの2度組みも、商業的に形だけを復興させたいのであれば、時間とコストの無駄にしかならないでしょう?
そのインタビューで私が「ツァイトヴェルクのデジタル表示を実現するにあたり、ルモントワール以外の機構を検討しなかったのですか?」とデ・ハス氏に質問したところ、非常に興味深い話が聞けました。
そこでも突然、ランゲ本社のレギュレーター振り子時計に話が及んだのです。リヒャルト曰く「夏も冬も、あらゆる温度で非常に安定した動作を示した」その振り子時計には、実は二つ目のゼンマイ香箱が定期的に巻きと解放を繰り返して時計の精度を大幅に高める“ルモントワール機構”が備わっていました。ほかにもデジタル表示を実現する手法はありましたが、動力の効率においても、ブランド哲学の継承においても、デ・ハス氏はその機構を採用したというのです。何とも素敵な話ではありませんか。
私が驚いたのは、巷にいわれているような関係性とは真逆で、ランゲがリシュモン傘下においても、比較的自由な立場を貫いているという事実です。そこから私が確証をもったのは、商業的戦略から不本意な戦術を取らされているのは、ほかの傘下ブランドであるということですが、その話は今回は横に置いておきましょう(笑)。
話を戻すと、ランゲはいまもブランド哲学を継承しながら、そして創業者の残した時計からインスパイアされ続けながら、現代のモデルを進化させているということです。当然2度組みといったような、まさに“Like clockwork”という言葉を地で行っているようなドイツ生産業魂もそうですが、後継者たちのインスピレーション源が、いまも残る創業者の手による振り子時計であるという事実は、ブランドとしてぜひもっと大体的に謳ってほしいものです(笑)。我々が愛用する近代のランゲ腕時計。そこには、グラスヒュッテとドレスデンという2都市の復興のシンボルが重ねられ、旧東ドイツならではの生産者魂をもって、いまも職人の手によって作り続けられているのですから。
そしてその魂は、オペラハウスとランゲ本社を訪れれば、誰でも自分の目で確かめることができます。2024年は、ランゲ1やサクソニアの発表とともにランゲブランドが復活してから30年となる記念すべき年です。
ランゲ好きのあなたも、古き良き旧東ドイツの空気を残したドレスデンとグラスヒュッテをぜひ訪れて、腕に乗せた腕時計と、街に刻まれたランゲブランドのDNAを重ねてみてください。するとその愛着は、先にそれを経験した私のように何百倍にも深まることでしょう。
Chrono Peace(くろのぴーす)
超絶レアピースからチープウオッチまでと幅広く、自らが気に入った時計を実用し、SNSで話題を集める極端な時計愛好家。
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