ロレックス愛好家の方はご存じだと思うが、かつてロレックスを名乗る会社は2社あったことをご存じだろうか。それはロレックスの産みの親とされるハンス・ウイルスドルフが創業したロレックスSAこと通称ロレックス・ジュネーブとエグラー社を母体とするロレックス・ビエンヌである。
ロレックスSAは、実のところムーヴメントを作ることができなかった。そこですでに11リーニュ(約24.8mm)の腕時計用小型ムーヴメントを量産していたエグラー社にロレックス用ムーヴメントの製造を依頼する。
そして、いずれは懐中時計ではなく腕時計が主流の時代になると予見していたウイルスドルフは、1900年代初頭にエグラー社とのパートナーシップをより強固なものにするため資本を投入。それが後にロレックスのムーヴメント製造会社、ロレックス・ビエンヌとなる。実は、同じロレックスの名称を冠していても、両社はまったくの別資本だったのだ。
企画とマーケティングはジュネーブ、ムーヴメントの製造はビエンヌというこの2社体制によって“実用時計路線”がある意味長い間保たれていたとも言われている。
しかし、1992年にロレックスSAの3代目社長に就任したパトリック・ハイニガーは、一大マニュファクチュール化を目論み、ケースから文字盤に至る各メーカーを次々に買収。続いてロレックス・ビエンヌにまでその食指を伸ばし、そして買収に成功。2004年、ついにビエンヌはロレックスSAに統合されたのだった。
統合の成果は、ロレックスの新製品ラッシュとなって現れた。特に、実用重視の観点からベーシックな3針を軸にブラッシュアップを長年重ねてきたムーヴメントは、わずか数年で様々な機構を載せるようになったのである。もしもそのままエグラーが所有していたとしたら、ロレックスはおそらくヨットマスター Ⅱ やスカイドゥエラーなどの複雑なモデルを作らなかったに違いない。
いま思えば、ハイニガーの買収は賢明だったと言えるのかもしれない。なぜなら、ジュネーブとビエンヌの統合により、ロレックスの開発スピードは、従来よりはるかに速まったうえに、その後もさらなる成長を遂げているからである。
(パワーウオッチ 2012年9月号「高級時計、噂の真相」より)
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