1969年、スイスと日本の時計メーカーは、ついに自動巻きクロノグラフムーヴメントを発表した。それが、セイコーの“Cal.6139”と、ブライトリング、ホイヤー・レオニダス、ハミルトンらで共同開発した“クロノマチック”ことCal.11、そしてゼニスの“エル・プリメロ”(=モバードの“デイトロン”)こと、Cal.3019PHCである。これら三つのムーヴメントは、クロノグラフ機構も自動巻き機構もまったく異なるのだから面白い。
今回は、このなかから当時最も野心的だった自動巻きクロノグラフである、“クロノマチック”にフォーカスし、その特徴と開発に至るストーリーに迫っていきたい。
・【事実上世界初の自動巻きクロノグラフ】セイコーCal.6139、完成のストーリー
・【1969年に生まれた自動巻きクロノの傑作“エル・プリメロ”完成のストーリー】
長らく自動巻きクロノグラフを開発できなかった理由はそもそものスペースがないためであった。そこで一部の設計者たちは、自動巻きとクロノグラフを別の階層に置けば解決できる、と考えたのである。
クロノグラフの自動巻き化は不可欠、と考えていたのは、ホイヤーで社長を務めたジャック・ホイヤーである。そもそも、自動巻きクロノを作るというのは、彼の父であるシャルル・ホイヤーの夢だった。ジャックはクロノグラフを自動巻き化することで、クロノグラフの防水性が改善できるほか、自動巻きの普及でダメージを受けた腕時計クロノグラフの売り上げを回復できる、と考えたのである。ちなみに60年代後半、ホイヤーとその兄弟会社であるレオニダスは、年に約37万5000個の時計とストップウオッチを製造していた。その内訳はストップウオッチが9割で腕時計の占める割合は、たった1割。ストップウオッチメーカーからの脱却を図りたい彼にとって、自動巻きクロノグラフは悲願だったのである。
彼は、同業のブライトリングを自動巻きクロノグラフの開発プロジェクトに誘い、やがてビューレンとその親会社であるハミルトン(68年から)が加わった。ビューレンは54年からマイクロローター自動巻きを製造しており、これは新しいクロノグラフのベースムーヴメントにうってつけだった。その上に重ねるクロノグラフ機構を開発したのは、クロノグラフの専業メーカーであるデュボア・デプラ。ホイヤー向けにストップウオッチ用を設計してきた同社は、ビューレンのマイクロローターの上に被せる、クロノグラフモジュールを開発することとなった。責任者は同社のジェラルド・デュボア、プロジェクト名は“99”であった。
マイクロローター式自動巻きのベースムーヴメントの上にモジュール式のクロノグラフ機構を重ねたクロノマチック
クロノグラフと自動巻きを別の階層に置くことで、クロノマチックはムーヴメント全面をクロノグラフ機構に割くことができるようになった。その結果、プレス部品の曲げを減らせたほか、大きな動きしかできない、カム式の採用が可能になった。また、ムーヴメントに余白がもてたため、クロノマチックは12時間積算計機能を、文字盤側ではなくムーヴメント側にもってくることが可能になった。これは、現在の多くの自動巻きクロノが踏襲する思想だ。
69年の3月3日、ホイヤーは、新しい自動巻きクロノグラフである“クロノマチック”(Cal.11)とその搭載機である“カレラ”、“オウタヴィア”、そして“モナコ”を発表(発売は同年秋)。続いてブライトリングもこれを搭載したモデルをリリースした。これらのモデルは、自動巻きクロノグラフ普及の引き金になると思われていたが、販売価格が高すぎたうえ、マイクロローターを製作するビューレンは、72年にムーヴメントの製造を中止してしまったのである。
もっとも、クロノマチックが打ち立てた“モジュール化”という思想は、このムーヴメントを設計したデュボア・デプラのもとで花開くことになった。同社が後に開発したDD2000系モジュールは、やがて、量産型自動巻きクロノグラフを語るうえで、不可欠な存在となる。
Cal.11の高振動版である12を搭載するホイヤーのオウタヴィア
※記事は2022年6月30日発売の『Antique Collection クロノグラフ大全 LowBEAT編集部』より抜粋しました。本書は当オンラインストアからご注文いただけます。
【ムーヴメントの詳細画像は次ページで】