1969年、スイスと日本の時計メーカーは、ついに自動巻きクロノグラフムーヴメントを発表した。それが、セイコーの“Cal.6139”と、ブライトリング、ホイヤー・レオニダス、ハミルトンらで共同開発した“クロノマチック”ことCal.11、そしてゼニスの“エル・プリメロ”(=モバードの“デイトロン”)こと、Cal.3019PHCである。これら三つのムーヴメントは、クロノグラフ機構も、自動巻き機構もまったく異なるのだから面白い。
今回は、このなかから、いまなおその系譜が受け継がれるロングセラー機、ゼニスの“エル・プリメロ”(=モバードのデイトロン)こと、Cal.3019PHCにフォーカスし、その特徴と開発に至るストーリーに迫っていきたい。
・【事実上世界初の自動巻きクロノグラフ】セイコーCal.6139、完成のストーリー
1969年に誕生した三つの自動巻きクロノグラフムーヴメントは、それぞれメカニズムが異なっていたことは前述したが、そのなかでゼニスとモバードが選んだ手法は、手巻きのクロノグラフムーヴメントの上に、自動巻き機構を被せるという古典的なものであった。この手法は、それまでも各社が挑戦し、失敗し続けたものだったが、幸いにも、ゼニスはコンパクトで薄いリバーサーを持っていた。同社はリバーサーの設計で苦労したが、どうにか69年にはこの手法による自動巻きクロノグラフを完成するに至ったのである。
発表は69年の1月10日。実際の発売は同年秋以降にずれ込んだが、発表時期だけを見れば、最も早く完成した自動巻きクロノグラフと言えるだろう。ただ、この発表は、スイスの地方紙でひっそり行われたにすぎず、一部の関係者が知るだけだったという。
セイコー、ホイヤー(およびブライトリング)、そしてゼニスのなかで、いちばんクロノグラフの自動巻き化に熱心だったのは、ゼニスであったし、実現の可能性が高かったのも同社だった。60年、ゼニスはクロノグラフ専業メーカーのマーテルを傘下に収め、またCal.2522Pという現代的な自動巻きムーヴメントを完成させていた。比べると、セイコーは腕時計クロノグラフを製造しておらず、ホイヤーとブライトリングに至っては、ムーヴメントを組み立てるだけのメーカーでしかなかったのである。
ゼニスは62年に自動巻きクロノグラフのコンセプトモデルを発表。同社の創業100周年に当たる、65年にはお披露目の予定だったとされる。そのアプローチは非常に手堅く、既存の手巻きクロノグラフであるCal.146にコンパクトなリバーサーを押し込み、自動巻き化するというものだった。誰もが思いつく設計を、コンセプトとして打ち出したゼニスは、よほどクロノグラフと自動巻きの設計に自信をもっていたのだろう。
自動巻きを加えたにもかかわらず、Cal.3109PHCの厚みは6.5mmに留まった。手巻きのCal.146と比べても厚さは1mmも違わない。自動巻きをムーヴメントの余白に置くレイアウトが薄型化を可能にした
ではなぜ、ゼニスはエル・プリメロの発表を69年まで遅らせたのか。それを示す史料は残っていないが、推測は可能だ。このムーヴメントの共同開発にあたったモバードは、60年代半ば以降、ムーヴメントの高振動化を図っており、68年には3万6000振動/時の自動巻きCal.405をリリースしている。同社が、高振動化の技術を加えたがったのは間違いないが、それには、自動巻き機構の設計変更が必要となった。事実、エル・プリメロの鍵となるコンパクトなリバーサーは、69年4月の段階でも、まだ設計中だったのである。もし仮に、ゼニスが高振動化にこだわらなければ、完成はもっと早かったかもしれない。
古典的な設計をもつ3019PHCは、いわば、設計者たちの夢を体現した自動巻きクロノグラフだった。製造コストがかかるため、75年にはいったん製造中止となるが、86年には“Cal.400”の名称で再び復活。その後も改良を加えられながら、今日に受け継がれている。
※記事は2022年6月30日発売の『Antique Collection クロノグラフ大全 LowBEAT編集部』より抜粋しました。本書は当オンラインストアからご注文いただけます。
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