“文字盤の裏側が見えないからといって、裏の作りや仕上げはどうでもいい、そういうことは1番やりたくない”
ドイツの高級時計メーカーのひとつラング&ハイネの開発責任者に就任した、イェンス・シュナイダー氏が去る9月上旬に来日。今回、インタビューの時間を割いてくれたため、イェンス氏が考えるラング&ハイネについて、今後の展開も含めて聞いた。
イェンス・シュナイダー
GUB(グラスヒュッテ国営時計会社)で時計師の見習いとして研鑽を積む。その後、GUBで時計師としてではなく訓練生を指導する講師に就く。その後1994年に再建したA.ランゲ&ソーネに入社。プロトタイピストとして働いた後、2000年に設計部門へ転属し、ツァイトヴェルクの開発にも大きく関わる。2009年には創業間もないモリッツ・グロスマンで開発責任者に就任。最初のモデル、ベヌーを1年がかりで完成させる。そして、その後も次々と新たな製品を生み出し、モリッツ・グロスマン成功の立役者のひとりと言っても過言でない。
———イェンスさんは、A.ランゲ&ゾーネの設計部門を経て、2009年からはモリッツ・グロスマンの開発責任者を務めるなど、これまでずっと時計師として、様々な開発に携わってきていますが、そもそもご自身のウオッチメイキングに対する考えとはどういうものかお聞かせください。
「自分にとって時計というのは、いまだに時間を知る機器であり、ツールだと考えています。ただ最近は機械式腕時計に、そこまでの精度は求められない時代ですよね。いま正確な時間といったらやっぱりクォーツ系にはかないませんから。でも、機械式であれ、クォーツ式であれ、時間を知る道具であると同時に、日々ずっと寄り添ってくれるアイテムでもあります。そのため着用する人、個人の個性を表現するもののひとつでもあると感じています。つまり自分の生活様式とか自分の考えとか、そういうライフスタイルっていうのを体現するのも腕時計だと思っています」
「特に、手工芸品として最たる機械式腕時計は、そういう観点からすると、自分の人生と重ね合わせやすいのではないでしょうか。時計は自分(イェンス氏自身)にとって、美しく作れる技術的な対象物、そしてオブジェだと考えています。そんな自分の技術を生かして、身に着ける人の人生にふさわしいものにしたいと考えています。専門的な人、技術系のものが好きな人は、(手工芸品として)見て理解するっていうことにすごく喜びを追い求めます。そういう人たちを喜ばせる時計を作り続けていきたいなとも思っています」
———前職のモリッツ・グロスマンもそうだったと思うのですが、ラング&ハイネも19世紀の古典的な設計を大切にした時計作りをしていると思うのですが、ラング&ハイネの既存のムーヴメントや製品について、時計師としてどのように感じましたか。
「時計作りの最近の傾向をみると、例えばA.ランゲ&ゾーネとIWCを比べて、IWCは19世紀に創設されたブランドではありますけど、当時とはやり方やこれまでの歩みがまったく違います。一方のA.ランゲ&ゾーネの場合にはポケットウオッチっていう絶対的な伝統があって、それを腕時計に再現しようしています。実は、ラング&ハイネも同じで、例えば最初の頃のモデル、ヨハンを見ていただくと、昔のA.ランゲ&ゾーネのポケットウオッチとまったく一緒といっても過言ではないくらいの作りです。ただ、マルコ(創業者の一人だったマルコ・ラング氏)さん自身が最後に手がけた、あのゲオルク(2018年発表の初の角形時計)を見ていただくとわかるかと思うんですが、それを踏襲しつつも、新しいものを挑戦していこうっていう姿勢が見えていると思うんですね。それを私も引き継いて、更に発展させていきたいと思っています」
「例えば、前職のモリッツ・グロスマンでトゥールビヨンを手掛けたことがあります。トゥールビヨンのキャリッジの構造および設計自体に歴史的なお手本なんてものはありません。ただ、自分が作ったトゥールビヨンのキャリッジ内部というのは、パーツのファセットの方法とか、仕上げとか、そういうものはしっかりと歴史に則って作っています。しかし、その構造はまったく新しいものなのです。このように伝統を重んじつつも、そこには常に新しさを取り入れていきたいと考えているのです」
「それともうひとつ、このお店(取材場所のノーブルスタイリング・ギャラリーを指して)に置いてあるいろいろなブランドさんの時計を見ていただくと、やっぱり中身のパーツは機械を使わないと作れないなっていうものもなかにはあると思うんです。それが決して悪いということではないのですが、(ブランドとして)歴史的な様式や手工芸的な様式をきちんと維持していく、踏襲していくといったときには、やはりすべて機械で作った製品というのは、ラング&ハイネの場合には今後も決してあってはならないと考えています」
最新作の角型時計、ゲオルク(右3本)と左はフリードリッヒⅢ世。これ以外にも日本ではほとんど現物を見ることができない、モーリッツなどラング&ハイネのコレクションが並んでいた
———イェンスさんからみて、その、ラング&ハイネの素晴らしいところってどこですか。
「時計を作るっていうことが大好きで、時計を作ることに情熱を燃やしている若い時計師さんがいまして、若いにもかかわらず、すべて自分でゼロから組み立てることができる腕と知識を持っている、こういう可能性のある人材がいるというところは素晴らしいですね」
———そうなると当然、ポジション的には開発責任者という重責に加えて、人材を育てるということも担っていくわけですね。
「そうですね、ラング&ハイネに入ったときには、もちろん開発をメインでやっていくと自分でも思っていましたし、それを求められて入社したわけですが、いまは会社の組織的な改革も必要だと考えています」
「ラング&ハイネの場合、目の前に生きた経験のある現役の時計師が実はこれまでいなかったのです。そのため若い時計師は、自分で本を買ってきて勉強するか、同僚同士で相談するかしかなかったんですね。これからは自分も若い時計師たちといろいろと対話をできるのをすごく楽しみにしています。自分自身もそれで学ぶことができるし、その若い人たちの質問とか、問題とかに直面していると、やっぱり自分も考えなきゃいけないわけですよね。そのなかから思わぬ共通点、アイデアがみつかったりして、お互いに前に進めるというのはすごく素晴らしいことだと思います」
———言える範囲で結構ですが、新しいムーヴメントやモデルの構想があったらぜひお聞かせください。
「新しいアイデアはたくさんあます。頭の中にはあるんですけど、ただちょっとまだ時間がなくて。先ほどもお話ししたように、まずは会社の組織を立て直すことに時間を割いています。そのためアイデアはあるんですけど、まだ着手できていないのが現状です」
———前職のモリッツ・グロスマンでは、最後に自動巻きムーヴメントを手掛けていましたが、ラング&ハイネでも自動巻きムーヴメントというのは、今後考えていますか。
「その可能性は決して排除できないと思います。ただ、何をモチベーションとして自動巻きムーヴメントを作っていくかっていうことが、自分にとっては大きいと思います」
———日本の時計愛好家は、ラング&ハイネのウオッチメイキングや哲学といったものを高く評価していると思います。そこにイェンスさんの感性が入ってきたときに、今後はどのようになるのか、おそらく皆さんも楽しみにしているのではないかと思います。
「そうですね。もの作りの姿勢というのは、いままでのものを踏襲していくものですし、突然新しい素材を作ったり表面の加工を変えたりとか、そういうことをするつもりはありません。手作業で作るということは、すべてのパーツは3Dで立体的に作れるっていうことです。表面が丸く盛り上がっていたり、ファセットがくっきりきれいに付けられていたりという、その立体感というものを、裏側から内部の機構を見たときにお客様が楽しめるっていうのが、ラング&ハイネの時計だと思います。その点はきちんと受け継いでいきたいと思います」
「これまでは考え方の違う人たちと戦わなければならないことが自身の人生のなかで数多くありました。時計を作っている人々のなかには「こんなのは見えないからそこまですることないよ」とか「これはいらない」などと、自分がこだわる点というのを排除されてしまう場面も多々あったんです」
「でもやっぱり自分は、文字盤の裏が見えないからって裏の作りや仕上げはどうでもいい。そういうことはしたくない。バックルから内部の奥のネジ1本に至るまで、すべてがそろってはじめて時計としての品質の評価が決まると思っています。これは見えないからとか、機能的に関係ないからそこまですることないっていうのは、まさに私が1番にやりたくないっていうことです。この信念はラング&ハイネにおいても変わることはありません」
インタビュー終了後に筆者と。インタビュー中は多少緊張もあったのかもしれないが、ほとんど笑顔を見せることはなかったイェンス氏だったが、その後の雑談では冗談を交えるなど気さくな一面ものぞかせていた
イェンス・シュナイダー氏とはモリッツ・グロスマン時代に、ドイツの本社で3度ほど取材をさせていただいているが、そのときはいつも記者を立てていたため、直に筆者がインタビューをしたのは今回が初。話を聞いていてあらためて職人気質で実直なその人柄を感じた。そして、インタビュー後に雑談をしていたとき、今回一緒に来日していたラング&ハイネのセールス・ディレクターで、イェンス氏とともにモリッツ・グロスマンから来たという、ギュルシェン・テク氏がこんなことを彼に代わって明かしてくれた。
「ラング&ハイネの製品についてイェンスは前からよく知っているんですよ。なぜかというと、創業者の一人であるマルコ・ラング氏とは以前から知り合いで、よく時計についてマルコ氏から相談を持ちかけられおり、それに対してアドバイスをしていた間柄だったからです。構造も作りも熟知していますから安心してくださいね」
なるほど、そういうことだったのである。
取材・文◎菊地吉正/写真◎笠井 修/通訳◎岡本美枝/協力◎ノーブルスタイリング、TEL.03-6277-1604
菊地 吉正 - KIKUCHI Yoshimasa