新幹線で隣の席の人が付けていた物を記憶し、知り合いの宝石屋さんを通じて探したという、ご自慢のスポーツクロノ
錦野旦といえばスター。スターといえば、錦野旦。外国人がどう思うかは知らないが、日本人にとってこの2つの言葉は一対なのである。
「我ながら、いい称号をもらったな、と思いますね。だってそれにふさわしい人間であるために、努力できるわけだから。そう呼ばれてなかったら、ここまで運動やお洒落を続けられなかったんじゃないかなぁ」
そう語る錦野さんの腕に見えるのは、金無垢のブルガリ、ディアゴノスポーツクロノ。スターは愛用の腕時計にも光り輝くことを求める。
「昔から、宝石のように高価で光る物が大好きでね。腕時計についても、何個もいらないから、見て『それ!』とわかるいい物を大事に使っていきたいと思う。でも、いい腕時計って結構、おとなしいデザインが多いでしょう。僕は基本的に派手好きだから、それだとみんなが気付いてくれなくてつまらないんだよね(笑)。その点、このブルガリはたまたま新幹線の隣の席で寝ている人が付けていたんだけど、もう見てすぐにブルガリだってわかってね」
まぁ書いてありますからね(笑)。
腕時計についても、何個もいらないから、
見て『それ!』とわかるいい物を大事に使っていきたいと思う。
「そうなんですよ。で、ひと目惚れしてコレを買おうと。9年ぐらい前のことです。いつも、こうやって腕にしながら眺めてますけど、やっぱり買ってよかったですね」
他人と違う物、目立つ物が欲しいという気持ちは、常に錦野さんのなかに渦巻いているそうで、オリジナルの車を作ったこともあるという。
「その名もロールス・ワーゲン・パンサー(笑)。ワーゲンの前後をロールス・ロイスにして、パンサーのライトを付けちゃったの。ものすごく目立ちましたよ。30年以上前で400万円ぐらいかかりましたけど」
せっかく(スターと)呼んでもらえるんだから、
『自分は何でもできるスターになろうと』思ったんです。
さすがはスター、やることが違う。
「そう言ってもらえるのは嬉しいですけど、最初はその呼ばれ方も恥ずかしいという気持ちがあったんですよ。だってフツー、スターといえば石原裕次郎さんとか美空ひばりさんのような人たちのことでしょう。でも、ある日『せっかくそう呼んでもらえるんだから、自分は何でもできるスターになろう』と思ったんです。走って歌って、泳いで踊る。その姿を大勢の人、特に同年代の人が見て『あ、錦野がんばってるな。自分も』と思ってもらえればいいと」
そんな錦野さんが現在、特に力を入れているのがディナーショー。「全国の人にエネルギーを届けに行く」気持ちになれるのだという。
AKIRA NISHIKINO 1948年12月14日生まれ。大分県大分市出身。1970年、『もう恋なのか』でデビュー。この曲で日本レコード大賞最優秀新人賞を受賞する。その後も『空に太陽があるかぎり』をはじめ、数々のヒット曲を生み出す。NHKの紅白歌合戦には連続6回出場の経験を持つ。現在はテレビ、ディナーショー、コンサートなどへの出演を精力的にこなし、日本中を元気づけている。